ようやくダハボンに到着です。ここは国境の町で最近新しい市場ができたとのことで見学に行ってきました。2年前に1度古い市場を見に来ましたがはたしてどのように変わったのでしょうか?
巨大な建造物です。残念ながらオープンはまだ先だそうですが、周りにはオープンを待ちわびた人々とごった返しています。ここはこの国で最大の国境市場でハイチの人にとっては非常に重要な場所です。
新しい市場の裏に新市場のオープンを待ちわびる旧市場が広がっています。ものすごい状況です。
国境の橋を行き来する人々です。まだまだハイチは貧しくこの市場で多くの食料を買い込んで行きます。みなとても殺気立っていてちょっと危険な感じです。
市場を自由に行き来できるのは週に2回月曜・金曜だけなので、ハイチの人達は出来るだけ多くのものをハイチに持ち帰ろうと皆必死です。
まもなくオープン予定の新市場です。二階建ての巨大なものですが、関係者の話ではこれでは全ての人は入りきらないそうです。
建物内の区画は非常に多くありますが、この他に建物の外にも多くの区画を作っています。うまく行けば後1~2週間でオープンできるそうです。
新マーケットの周りにも所狭しと屋台が並んでいます。
ちょっとダハボンの国境市場のマメ知識です。
この市場はフォアキン・バラゲル大統領の時代に作られました。それ以前は国境は閉鎖されており、一部の人をのぞいてハイチとの交流はありませんでした。市場を開いた理由はハイチの援助のためで、ハイチの人達が世界中から集まる支援物資をここで売り、ドミニカの食料等を買ってゆく構造になっています。確かに市場でハイチの人が売っているのは世界中から集まる支援物資です。靴や衣類、医薬品等です。かれらは世界中から集まった支援品を自分達は使わず、このマーケットで売り払って食料を買い込んで帰るのです。支援物資の中にはお米等の食料もあるのですが、彼等はその食料品もここで売り払い、大量の安い食料品に代えてゆくのです。国際援助の歪ではありますが、最終的には世界からの支援物資がハイチの人達の食料に変わって(形は変わっていますが)彼等のためにはなっていることには間違いない事実です。国連も支援団体もこの事実は分かっているとのことで、最終的に彼等の為になっているということで納得しているようです。ただ問題はこの市場の恩恵は殆んどダハボンの人達にとってはないとのことで、ただただ多くの人がダハボンを通過するだけとの事です。
今回ダハボンでお世話になったホテルです。ダハボンでは一番のホテルだそうです。私の泊まった部屋は1泊950ペソ(2000円弱)でエアコン付きの部屋でした。エアコンなしの部屋は500ペソだそうです。もちろん食事は別です。
部屋はきれいではありませんが、汚くはありません。一応シャワーはお湯がでます。この値段で泊まれるだけでも幸せです。ホテルの名前は「レイダン」です。町の人に聞けば誰でも知っているホテルです。
この町はとてもきれいで、殆んどゴミが落ちていません。市場はカオス状態ですが、町中は平和でのどかな町です。
帰りに日本人の移住地に寄ってみました。ダハボンには1950年代日本から多くの移住者が着ており、まだその当時の面影が残っています。
当時移住してきた人達が住んでいた家がまだ残っています。(現在はドミニカの人が住んでいます)私の生まれる前ですが、当時の人は大変な苦労をされたとのことです。現在は2世・3世の時代になっていますが、町では日本人はとても尊敬された存在となっています。当時の人はまじめで、働き者としてダハボンの人に受け入れられています。それにしても日本から遠くはなれたこのダハボンで日本人が活躍していることはすばらしいことです。
最近のコメント